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集中力が足りない

最近、ことさらに集中力が足りない。
という気がしてならない。
あれこれ片付けるのも、途中でほっぽり出して
そのまま忘れてしまうような気がするし、
一つのことにじっと注力してことを遂行するということが
なかなかできていない有様である。
全然、話は変わるが、
会社の空調がからくもブッ壊れてしばらく経つのだが、
この度、やっとこ新調されてうれしい次第であります。
部屋でじっと汗だくでMacの前に座ってると
ふとタガがはずれて笑えてきて困る。
軽く壊れつつあるのだなと思った次第。
会社の敷地横から伸びる蔦の成長がハンパない。
日がな伸びている姿を想像するとちょっとコワイ。
昨日は、自宅で急遽散髪(今後「宅刈り」と呼ぼうと思う)
今回は、もっと行きたい自分をうまく制御しつつ
適度に調髪できたように思う。
といっても、横をバリカンで刈っただけだが。
あ、先月の初めころに実家に帰りホタルを見たのだが、
結構カンタンに捕まえられるので驚いた。
ハザードランプを仲間と思い込む様子。
ライトに群がっている様子はちょっと気持ち悪かったです。
スーツを新調したいなと思っているのだが、
オーダーでつくろうつくろうと思いつつ、まだ行けてない。
シャツは2着ほどつくってみたのだが、モノがどうあがるかはちょっと不明。
しかし、シャツにしてもスーツにしても
安くでできるようになったなぁと感心している次第。
あと、最近ずっとMacが調子悪い。
定期的に制御不能に陥る(5〜10分程度)のだ。
ネットワークの関係か、メモリの関係か。
TimeMachineがあるとついついメンテナンスを蔑ろにするなぁ。
娘が朝方とても元気で困る。
朝の一言目は
「あんよー」
と足をアピールするのだが、
どう答えれば喜んでもらえるのか皆目見当がつかない。

まぁ、こんな感じにまとまってないです。

演歌

車で運転中、気にすることなく車中のラジオが耳を通り過ぎていた。
誰かは知らない女性が、
いつもそばにいるとか、二人で何かを分かち合ってみたいな感じのことを歌っているのだが、
これは内容的には演歌っぽいなぁと思った次第。
昔の「あなた(おそらく貴方)」という女性から男性への呼びかけに対して
「君」という、以前は男性から女性への呼びかけに使用されていた呼称を使用している点が
フェミニズムというか、女性の意識向上というか、まぁなんか時の流れを感じるものの、
歌に込められる内容は、あまり変わらんのだなぁと思った次第。


寒いと寂しいは、ちょっと似てる

もう桜もちらほらと緑が見えてきているけれど、今日は少し寒い。
寒いと寂しいは、ちょっと似てる。

ここしばらく、どうにも落ち込んでいる。
大きな失敗があったわけではない。
むしろ失敗を恐れて動けない自分に
不甲斐ない思いを抱きつつ、
それでもまだ動けない自分に腹を立てながら生きている。

何がそんなに怖いのだろう。
よくよく考えれば、何も怖いことはないのだろうけど。
それでも、怖いのだ。
誰かから疎まれるのが怖い。
誰かに面倒を押し付けるのが怖い。
嫌な思いをしている表情を見るのが怖い。
間違っていると指摘されるのが怖い。
何もかもうまくいくなんてことは
あるわけはないんだけど
そこから目を背けて、正面に立たないようにしているんだ。
つまり、逃げているわけだ。

思ったことを口にする。
思ったことを行動に起こす。
ただそれだけのことに
何故二の足を踏むのか。

自分に自信を持てない。

それはきっと、何かが足りてないのだろうと思う。
努力とか、思慮とか、決意とか。
何かを残したわけでもないのに
形にこだわってるんだ。
なんの形もつくっていないのに、
自分ではあると思い込んでるだけなんだ。

自分を変えるということに
臆病なのかな。
今までのやり方を捨てる勇気がないということか。
新しい手法を取り入れることは、
むしろ望んでいることなんだけど。
自分以外の人を巻き込むことになると
どうにも臆病になる。
それが、好意的に受け入れてくれる人の場合でも、だ。

ここから、無理やり前向きな言葉を書くことはできる。
けれど、なんだかそれも違うなーという気がしている。
言葉を飾ってうまくまとめて、
わかってる人ぶるのも、
結局はダメな自分から目をそむけることにならないか。と。

まず、自分ができてない、
ダメな自分を受け入れるところから
はじめないといけないと思っているんだ。

失敗した数が成長の数だとすれば、
うまく行っている状態はストップしている状態か。
一概にそうは言えないけれど、
失敗してそれをプラスに塗り替えられたなら
それは成長だと認めていいと思うんだ。
そういう事から言うと、ボクはあまり成長せず、
うまくごまかして生きてきたような気がする。
だから、ちょっとした傷がすごく大変なことに思える時がある。
弱い素材ということか。
なんとかコーティングで見栄えよくしているけれど。
そして、それはなんか、ずるい。
そんで、そのずるさも認めたくないんだ。
つまんない人間だなーと思う。

一体自分の強みとか、良いところってなんなんだろうか。
そんなもんがあるのかな。
それは誰に対してなんだ。
まったくよくわからない。
自分を見失ってるように感じてる。

と、思いつくままに書いてみた。
これでも、ソフトに書いていると思う。
読んで気分がいいもんでもないだろう。
もしかしたら、誰かに心配してもらいたいのかもしれない。
それは、甘えなんだろう。
格好悪いね。

最近、自分の中に物語がないなーとは感じていた。
それがとても空っぽに感じてた。
きっと疲れてるんだろうと思う。
それも言い訳。
体力も落ちて、ふんばらず
考えることは今までの遺産をこねくり回す。
事態をいい方向へ向かわせるための苦労を見て見ぬふりする。
結局は楽をしてズルをしているんだ。


いまは、一日に1時間ほど
ぼーっと音楽を聞いて本を読んで
自分を取り戻す時間をつくろうとしてる。
そんで、ゆっくりと自分を受け入れていこうとしてる。
あんまり焦っても、あとで、ぼろが出そうだし。
この自分への倦怠感とはじっくり付きあおうと思っている。
なるべく、やけにならないようにしないとなと思う。
それから、諦めることも得意なので、
それに関しては、今回がんばって抗おうと思う。

気は配っても気は使わず、
少しずつでも、ある意味わがままを振りかざして
失敗を数えて行こうと思う。

あと、ちょっと前に、装丁をさせていただいた本が上梓された。
今回はイラストも。


日本大震災

いま、こうやって
少し落ち着いてものを考えていられることは
とてもありがたいものなんだな。
当たり前が当たり前にあることの幸せを思う。
とはいえ、まだまだ気持ちはこんがらがったままでいる。
解きほぐすには時間がかかるだろう。
ひとまずまとめず思うままに書く。


震災が起きてから、おびただしい程の情報を摂取して
多少消化不良を起こしていたものの、
なんとか少し落ち着いてきた模様。
自分の中でのフィルタリング作業は
不安が邪魔をして難航した部分があった。
拠り所を自分の中でなく外に求めると
安心は得られにくいのだなと感じた。
不安の正体は不明なのだろう。
ベールを脱がすことが出来れば
不安は姿を消して、対処を探し出す作業へと変わる。


今回、自分の家が海のすぐそばであることもあり、
家人には幼児もいることで大変不安を感じた。
いざという時の対処はもとより、
いざという時のジャッジに対しても神経をすり減らす部分がある。
そして、津波があんなに恐ろしいものであることにも
今回を機に考えを改めるようになった。
どこかでまだ咀嚼しきれていない部分はあるように思う。


国の対応、それから原発に対する事業者の対応に関しては
比較的信じているように思う。
もちろん、放射能の問題は怖い。
が、専門の人達が頭を寄せ集めて、命を削って
今も必死に事に及んでいる。
そのことに関して、外野の僕にできることは祈ることくらいだと思う。
誰が、どう悪かったかを論じる段階にはまだ至っていないと思うし
素人がこうすれば良いはず、こうしておけば良かったはずと思う点については
専門の人たちはとうに視野に入れている。
その点は踏まえて、対処済みであったり
素人のあずかり知らない理由の上で、避けられたりしていると思うのだ。
もちろん、悪しき風習やなぁなぁの運営体制など
非難される点は多々あるのだろうと思うが、
今は、日本を背負ってがんばってくれている人たちを応援する気持ちのほうが優先されるべきだろう。
犯人探しは今じゃなくていい。


それでも、16年前の神戸を襲った震災と比べると対応が素早いと感じた。
素早いというよりはスムーズといったイメージである。
大型災害の際の対応は各々で整備されマニュアル化してあったのだと思う。
一般の人々の落ち着きというか、冷静さがとても印象に残った。
情報インフラの多様化も理由のひとつにあるのだろうが、
それぞれが全体を把握しようと努め、自分の位置を自分で判断し、
自分にできることをしっかりやろうとする姿勢を感じた。
自己満足な思いやりではなく、実となる思いがしっかり届けられる様になるのではないかと思う。
基本的に「人間は善である。しかし愚かである」とぼくは思っているのだが、
爪痕が深く影が濃い分、善である光の部分をより多くまぶしく感じる。


いまもまだ渦中にあるが、
これが落ち着き、みんなで復興に向けて再出発するにあたって、
たくさんの部分で、みんなが我慢を強いられることになると思う。
原発はすべて見直しがかかるだろうし、電気の供給に対しても再構築が必要だと思う。
物資の供給やそのインフラ、エネルギーのあり方、
それから被災者被災地の復興支援等々。
安心というものは安全の上に成り立っていて、
その安全がいろいろな面でほころびている。
新しい安全の形が成り立つまでには時間もお金もかかるだろう。
国が援助すれば良いという意見はよく見るが、
その原資は国民全てで担うのだ、人事ではない。
僕たちは日本の中のひとりではあるが、僕達一人ひとりが日本なのだ。
今回の震災の名前も「東北地方太平洋沖地震」「東北関東大震災」「東日本大震災」と
名前はバラバラで定まっていないが
「日本大震災」と呼ぶべきではないのか?と思うのだが。
直接的な被害は受けていなくても、自分のこととしてちゃんと受け止めねばならないと思う。


災禍に見まわれ亡くなった方がいる。
家族や親類を亡くした人がいる。
住むところも思い出のかたちもなくしてしまった人がいる。
親しい人が今元気でいるのかわからない人がいる。
怪我をして、患って苦しんでいる人がいる。
食事もままならず、寒さに震えている人がいる。
自分が食事をしているとき、温かいお風呂に入っているとき
寝床について目を瞑るとき、親しい人達と笑って話しているとき
その人達の事を考えると、やっぱり胸が痛い。
何となく心苦しい気持ちがある。
だけれども、なるべく元気に生きよう。
今あることに感謝をして生きよう。
元気じゃない人を元気にしてあげられるようにがんばるためにも
元気な人が元気でいることは、いいことなんだと思う。
つらくきびしい状況の人たちがんばって!
少しでも笑顔が増えることを祈っています。


2011

あ け ま し て お め で と う ご ざ い ま す


今年も滞りなく年があけました。
毎年、飽きずに予定通りちゃんと新しい年が来ますね。
年々、年末年始のお正月の特別感がなくなっていくのは
はたして自分だけなのだろうか?と思いますが如何でしょうか。
自分的には、元旦もお店が開いている状態がその要因かと思われます。


仕事の事に関しては、
ずっと仕込んできた新事業の方で大きな動きを見せるだろうと思う。
会社としても、そろそろと次の動きへの準備に入りつつある状態で
自分としては、背負っても倒れないように
地に足をつけ、踏ん張れる土台を補強せねばならない。
表現技術はもとより、仕事の采配や会議の仕切り、
ナレッジの部分の強化は必須だと思われる。
自分の武器とできる考え方や評価基準を整備し、養わねばならないなと思う。
営業活動はあまり向いていない性質なので、
名前が歩く仕事は、特に取りこぼさずにしっかり取り組んでいきたいところ。
あとは、英語の方も勉強せねばなー。
結局人間力の強化という感じか。


プライベートでは、娘のしゃべりが達者になってきて
コミュニケーションに広がりを見せてきていることに
喜びと楽しみを見出しておりますが、
良いこと、悪いこと、何でも吸収してしまう、その吸収力は
一人の人間として見習うべきだなぁと思う反面、
人間の先輩としての模範を見せることができるかというプレッシャーも。
ありがた〜い社長の訓示のなかでも教育の話があり、
今年は人間の成長過程と教育について考えることが多くなるだろうと思う。
知識や学力よりも、人間としての魅力を引き出し磨けるよう
導いてあげなければいけないなぁと思う次第。
これはこれから先の大きな課題だ。


とにかく世界情勢が不穏な動きを見せているので、
戦争が起こらず平和に過ごすことが出来ればと思う。
平和とは、見えない誰かの見えない努力によって築かれているものだ。
見えない感謝は常に持っていたい。


初詣での戦果は、昨年に引き続き「凶」。
これ以上、下がることはないので上がるだけ(大凶はないおみくじでした)と思いつつ
逆境には課題があるわけで、課題を解決する手法がデザインなわけで
今年は逆境も楽しむ所存であります。

雨上がり 雲の切れ間に 虹の橋


観光まちづくりのマーケティング

またまた装丁を手がけさせていただいた。
今回は、アカデミックなデザインとシンプルな力強さのデザインを提案。
決定したシンプル案は、どちらかというと売れ筋のデザインというテイストになったのではないだろうか。

内容はここに書かれているように、地域を総体としてとらえて、それをどう売り込むかという戦略のノウハウが書かれてある。
ある部分に特化した内容のまちおこし的な企画本は種々あるものの、全体を俯瞰して戦略に落としこむような本はあまりなかったのではないかなと思う。
そして、全体を俯瞰してモノ・コトを観るということは、難しく、みんな苦手だよなーと思った次第。

全体像を観るということは、
自分の立ち位置を把握することであり、
周りのものとの因果関係を視野に入れることができるということである。
それがあって、はじめて適正な判断を下せると思うのだが、
価値観の多様化とか、立場が違えば視点が違うとか、
どこかしら聞き分けのよい言葉が市民権を得てしまって、
全体像を把握することを最初から諦めている人を多見される気がするのだが。

日本人は部分最適化の能力に秀でていると聞く。
音楽で見ると西洋のアンサンブルに対して、日本の伝統音楽は単音で構成されているものが多い。
また、ロゴマークにしても、日本は国旗に始まりミニマリズムへ向かう傾向が強いが、海外のものは要素が多く結構複雑なものも多数見られる(スターバックスとか絵に近いよね)。
単一民族と多民族の文化性の違いなどもあるのかもしれないけれど、
日本人は一つのことを深彫りしていく傾向があるようなことを何かの本で読んだ記憶がある。
だが、部分最適化をいくら促しても=全体最適化にはならないのだ。

視野を広げるためには、視線の高さを上げるほうが効率が良い。


はてさて、装丁の話だったのでは。


白い箱の中と5年の時間

かなりの久しぶりに作品展に参加いたします。
作品は一部を昨日に無事納品。
今回は販売物も置かせていただく予定でおりますが
そちらは近日納品予定であります。

今日という日は、いつかの答なのかもしれない。
5年前の答えが今回というわけではないけれど、
答えでなくても、辿り着く場所への過程として
何がしかの意味を持ってくるのだろうか。
作品のテーマは「つながる」です。
お近くにお寄りの際は、お気軽にのぞき込んでいただければ幸いです。


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「I know アイノウ」


日時:12月3日(金)〜12月21日(火) 13:00〜18:00
休み:水・木
場所:大阪・谷町六丁目「日音色」


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絵の具

インクでありカラーズなんだろうけど、
言葉としては
ピース・オブ・ピクチャかな?
エレメント・フォー・ジ・アートかな?
もう普通になっちゃってるけど
美しい言葉だなー

デザインとアイデア

デザインとは、問題解決の手法なのだなと
あらためて思うところあり。

しかし、

ほんとうに大変で
本当に必要なことは、


その問題を見つけることだ。

それから、求められるアイデアの
方向性も変わってきているのを感じる。

それはたとえば

車がより早く、より効率良く走るためのギアのあり方のアイデアではなく、

車が真横に走るためのギアのあり方のアイデアだ。

アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせ。
考えなければユリイカには出会えないのだ。

目を開こう。脳を開こう。

パー・ファイヴ 5

21 バーディ(-1)
22 ボギー(+1)
23 バーディ(-1)
24 ボギー(+1)
25 パー(0)
26 パー(0)
27 パー(0)


最近、うなりやベベンの平家物語が頭からはなれん。
こういうの、子供は苦もなくすんなり覚えちゃうんだろうなぁ。

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