2009 01 05
要約、3件です
今日から仕事始め。
今年もありがた〜い社長の訓示を賜った。
要約すると、今年のテーマは3つ。
・ピンチこそチャンスである
100年に一度の世界恐慌。100年前の恐慌時代を経て大量生産工程で世界トップに躍り出たフォードも100年を境に沈没した。この不景気を背景に今年はたくさんの淘汰が行われるであろう。
フォードの大量生産大量消費方式は破綻したことも暗示するように、確実に価値観のパラダイムシフトが起きている。
うちの会社も厳しくなるが、ピンチの時はハードルも低い。つまりこれはチャンスである。そこからまずパラダイムシフトを起こしていかなければならない。
・美しいということ
我々デザイナという仕事の特性上、ビジュアルに関しては常にシビアでなければならない。「美しい」ということの物差しを常に磨いていかなければならないが、あまりにも表面の美しさ・きれいさしか見ていないのではないか。美しいと感じるのは表面ではなく、その背景にある形のないものである。そこをしっかり捕まえることができることが、今後のデザイナに求められるだろう。
・人間のエネルギー
ベトナムの街並みは、活気にあふれている。一台のバイクに2人や3人、時には無理矢理4人がのって走り回っているのだ。嫁入り前のお嬢さんであろうと、裾を翻してバイクで走り回っている。もちろん危険は伴うが、みんなが自己責任のもと威勢良く生活している。生きることに一生懸命であると感じる。たとえ襤褸をまとっていようが、その姿は美しい。
かえって日本はどうだろうか。そこまでの体温を、熱量を感じることはできるだろうか。
これからは論理だけでは解決できない問題がたくさん出てくるだろう。現状では頭打ちになっている。そこを打破するためのヒントは、そういったカタチにならないものの中にあるのではないか。
要約(意訳)してみるとこんな感じだ。
「美しい」に関しては、以前にも同じようなことを書いたことがある。たぶんそこにある「意思」のようなものに心が動くのだと思う。
年末年始のニュースでも暗い話題が目白押し。聞いているとつらくなるようなものばかりで寒さが余計にこたえる気がした。
それでも、明るく楽しく生きていくためには何が必要なのか。とりわけ、今年から家庭を持ちさらに地に足をつけて歩いていかねばならない。いろいろと考えさせられる機会だったと思う。
もの、物、モノの価値観から、心の価値観へのシフトはさらに大きくなってきているのだろう。幸せは自分が決めるもので誰かに与えられるものではないと、誰かが言っていたようにも思う。
ありがたいことをしてもらったとき、素直にありがとうと思える。
この幸せだけは、最低限なくさないでいたいものである。
2009 01 01
2 0 0 9

あ け ま し て お め で と う ご ざ い ま す
暗い話題も多いですが、
暗い中にいるときほど、
灯がすばらしく、頼もしく、美しく見えるものです。
身近にあるたくさんの灯にしっかり目を向けて大事にしつつ、
日々を噛み締めて生きて行きたいものです。
今年も、よろしくどうぞ。
2008 12 28
プロっぽい
「〜ってのは生き物だからね」
何かにつけてこれをいうと
なんか、その道のプロっぽい。
2008 12 16
おそれるなかれ 体当たり
不景気の嵐が吹きすさび、身を切る風が突き刺さる。
暗い話題のフルコースでお腹いっぱいのこのごろ。
シビアな話題の連続で、笑顔にも脂が足りないような気がする。
新しい仕事のスタート地点に立ち、少々胸焼け気味である。
基本的に、逃げて逃げてここまで生きてきたところがあるので
どうも、このスタンスは気が重い。
しかしながら、逃げても立ち行かず、
ひとまず表に立つしか道はない。
いずれは立つことになるステージだとは思うのだが。
舞台に上がれば、ショーは続けなければならない。
ショー・マスト・ゴー・オンである。
せっかくの機会だし、これからさらにシビアな状況になるだろうという予測。
どうせならたくさん失敗しておこうと思っている。
うまく立ち回るには、相手は強敵すぎる。
自分の力だけで立ち回るのは難しいだろう。
ひとまず肚をくくって、
おそれるなかれ、体当たり。
眠い目を 擦りて朝の 声を聞く
来年は地獄起きの生活が続く模様。
2008 12 13
芸能人の普通の人化
以前はもっと生き方をプッシュしていた気がする。
「俳優」としての生き方とか、「芸人」としての生き方とか、
「歌手」としての生き方とか。
それが、近頃は何となく身近。(といってもあまり知らんけどね)
どちらかというと仕事としての面を表に出しているように感じる。
「俳優」「芸人」「歌手」という仕事を通してのライフスタイル。
見せ方が変わったのかなぁ。
垣根がなくなったのかなぁ。
それとも見方が変わったのかなぁ。
そういえば、最近は歌手って言わんね。
みんなひとくくりにアーティスト。
アートとビジネスは対極にあるような気もするけれど。
2008 12 05
学歴と感度
高学歴の人と接するとなんとなく
あぁ、そうなのか、と身構えてしまうところがあるように思う。
自分が皆目見当もつかない言葉と理論で話をされるかもしれない。という不安が少しある。
大学にも行かず、しがない専門学校出身だからだろうか。
アカデミックとは距離のある、手で考えるタイプだ。
なにがしかのコンプレックスがあるのかもしれない。
しかしながら、話しているとどうにも引っかかることがよくある気がするのだ。
おそらく知識も豊富で、情報がネストなのだろうと思うが、
なんだかピントがずれていたり、テンポがずれていたり。
どうも、感度が鈍い。
別に学歴がどうこうと言うつもりはないのだが、
ボクのまわりではその傾向があるような気がしないでもない(二重否定)。
一を聞いて十を返してくるような会話は、とても気持ちがよい。
そんなテンポで会話が続くと、一種の高揚感さえ生まれてくる。
伝えることに躍起にならなくてよいので、想いは自由に飛び回る。
飛躍した思考の欠片が、さらに次のステージへと運んでいってくれるような気がするのだ。
イメージは国境を越える。
学歴云々は、その時点の評価であり、そこから先は未知数だろう。
伸び代なら、むしろ低学歴の方が多いのではないかとも思う。
実際、勉強があまりできなかったタイプの人は
体当たりで事に当たってきたことも多く
体で学んだ、点数にはならない知識が豊富だったりする。
そういう話は説得力もあるし、聞いていて面白いことが多い。
実際、論文より、体験談の方が読んでも楽しいだろう。
知識が多いと、アクセスのとっかかりが多く、知恵へと結びつきやすい。
知らない事だらけでは前に進めない。
知識の灯火を増やし、たくわえることは大切なことだと思う。
それと同時に、アンテナの感度を磨き、
コミュニケーションのネットワークをより早く確かなものにすることは
かなり大切なんじゃないかなと思うのだ。
評価軸として表に出にくい分、人はそこを敏感につかみ取るように思う。
学歴は具象、感度は抽象。
人の記憶に雑感として残りやすいのは、抽象の方である。